昨年夏8月初めより、美竹公園の共同炊事のお手伝いや共同炊事あとの夜回りに参加させて頂いています。厳密に言えば2019.12.31の大晦日の夜に参加した事はあったのですがその後、台風による水害の災害ボランティアや他の同様に、生活困窮者のみなさんを支援する団体活動に友人が参加していた為そちらでお手伝いをしており、なかなか参加出来ずにおりました。しかし、自分の住む渋谷区内で活動している団体です。ずっとお手伝いしたいと思っておりましたが、なにぶんコロナ禍で新規ボランティアは募集されておらず、ある時突撃でトライし、断わられたら帰ればいいや、と参加しだしたのが昨年8月第1土曜のことでした。その後、昨日2月27日までで約7ヶ月になります。
共同炊事では、野宿者も支援者も皆で一緒に作業します。汁物用に野菜切ったり、パック詰めしたりします。コロナ禍の今は汁物をご飯にぶっかけ混ぜご飯にして、その上におかずを載せ、パックに詰めてバナナやジュースと一緒に持ち帰ってもらえるようにビニール袋に入れて皆さんに渡しています。コロナ禍前は皆でそこで食べて貰えるようにお椀に盛って出していたそうですが、今は密になってはならないので、それが出来ません。野宿者であれ、支援者であれ、皆、繋がる場だったと思うのに、残念です。炊き出しとして丼のまま出していた頃に比べればパック詰め等々、手数もお金も掛かるでしょうし、ゴミも増えてしまってると思います。早く、コロナ禍が終息してほしいものです。
共同炊事のあと、有志で夜回りに出ます。代々木公園コースと渋谷駅界隈を回るコースとふた手に別れて、野宿仲間の様子を見に回ります。その日、美竹に来てなかった人の様子や、新しく路上に出ざるを得なくなってしまった仲間がいないか等々を見て回ります。夜回りは自分には経験がなく、興味があったので、最初に参加した日から一緒に回らせてもらい、代々木公園コースを回っています。のじれんその他団体が協力して発行している「しぶや通信」と、冬場の今は、ホッカイロとマスクをもってまわります。
最初の頃の自分は、真夏のせいもあるかもしれませんが、着いて行くのがやっとだった気がします。夜回りメンバーが野宿仲間の居場所や名前を把握している事にびっくりでした。「〇〇さん、今日来てた?」「あそこに前にいたっけ」「新しい仲間だよね?」等々。人数をカウントして回ります。個人的には、この夜回り活動が、とても勉強になっています。
ある時の夜回りで気になったおじさんがいました。代々木公園のベンチに寝ていた方です。自分でも、おっかなびっくり他のメンバーの真似して、「しぶや通信」を持って話しかけたのですが、美竹公園の場所がわからないから行けない、とか、足が浮腫んで重たいんだとか・・・。
「しぶや通信」にある地図は小さくて見にくかったようで、うまく説明出来ず、自分で別の機会に個人的に拡大した地図を持って行ったことがありました。すっごいドキドキしながら話しかけ、何とか場所をわかってもらえ、翌週、美竹に行ったらそのおじさんが来てくれていて、無茶苦茶嬉しかったです。そして「俺も何かやるか?」と言ってくれて一緒に野菜を切りました。野菜切りながら、熱中症で救急搬送された時のことや、退院してからのことを話してくれました。退院してから無低を紹介され、そこが狭くてあまりよい場所ではないことを知っていたので、代々木公園ベンチで寝泊まりしてたそうです。自分が話しかけた頃は、ちょうど退院したばかりのようで、一番体調もよくなかった時のようでした。自分が渡した地図があったから来てくれた訳ではないかもしれないとも思いましたが、何かとっても嬉しかったです。その後、そのおじさんは、二週ほど来てくれていましたが、今は見かけません。あのおじさんなら、どこかで元気に生き抜いていてくれると思います。
他にも、いつも共同炊事に来てる野宿仲間のおじさん達とも、最近は自分も話せるようになってきました。最初は妙に気負って、上から目線で言ってはいけないことを言ってしまいそうだったので、気が引けていました。野宿当事者なのか、支援者なのかわからないことも多く、その間の垣根がないのが、のじれん活動の目指すところだろうし、それが、いいとも思っています。
ただ、このコロナ禍で、共同炊事作業は恐らく、コロナ禍前より手間が掛かることが多く、支援者側や慣れた野宿仲間のみだけで作業を進めてしまっているかもしれない、と思う時もあります。野宿仲間は作業に入って行きにくい雰囲気もあるかもしれない、けれど、手間が掛かるぶん能率も考えなければならない状況にもあり、難しいとも思います。
そして、やはり、「こんな若い方が」と、とっても野宿生活をしているようには見えない方々も配食を受け取りに来ています。そういう自分も、非正規雇用で一時雇い止めになり、来月から新しい職場の仕事が見つかり、再スタートするところです。のじれんや、他の生活困窮者支援団体の活動にお手伝いで参加を始めたのは、いつ自分が住まいを失うか、仕事も失うか、とても他人事とは思えないからです。とりわけ、昨年の幡ヶ谷の事件はショックでした。場所柄、のじれんに来てくれてた人かもしれないし、派遣で昨年2月までスーパーで働いてた方だといいます。怒りやら何やらで震えがきました。もうあんな事は起こってほしくないです。
大した事出来なくても、隣りいる人の気持ちになれば、何か出来る事あるはず、と思いたいです。(塚田みさ子)

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